ソラネコの何か(仮)

徒然電脳妄想ブログ

ガミラス人は特攻マニアか

なんちゃってイラストレーター、彷徨えるトランスジェンダー、ソラネコです、こんにちわ、初めての人は初めまして…。

前回に続いて宇宙戦艦ヤマトの世界に突入することにする。以下の論述は、宇宙戦艦ヤマトという夢から続いているものである。

 

宇宙戦艦ヤマト』と戦った者たちとして、序盤の宿敵シュルツ、中盤の宿敵にして最大の好敵手ドメル、そして、もちろんデスラー総統がいる。

当初、デスラー総統アドルフ・ヒトラーをモデルに、ガミラスはナチスドイツをモチーフにしたと考えられていたが、西崎氏はその後、『オールナイトニッポン宇宙戦艦ヤマト・スペシャル』において、デスラーのモデルはローマ帝国の皇帝であると発言している。一方、松本氏はデスラーについて『コミック・ゴン第2号』で『(ラーメタル、ラー・アンドロメダ・プロメシュームなどと同じように)自分がよく使う「ラー」と「デス」を組合わせたもので、前者はエジプト神話の太陽神ラーに由来し太陽やそれに象徴されるパワーを、後者は死を意味する英語であり、すなわち「デスラー」とは「死の太陽」を意味する』とし、ヒトラーとの類似は偶然であると説明している。

意識的に考えだしたモデルというのは、要するに顕在意識が考えついたものであって、言葉を変えれば仮面でしかない。西崎氏が言うところのローマ帝国の皇帝をモデルにした仮面を引き剥がしてみて、初めて我々はデスラーの素顔を見ることになるのである。だが、デスラーの素顔を拝む前に、ガミラス人について考えてみよう。

 

デスラー総統はもちろん、シュルツやガンツ等、序盤に登場するガミラス人たちは日本人と同じような肌の色をしている。後に同じような肌の色をしていると宇宙人であることが判りにくいという意見を反映して、物語序盤のガミラス人の肌の色は照明のせいだったというオチに変更されている。『2199』ではシュルツたちにガミラスによって征服された惑星ザルツの出身という設定が加えられたが、そもそも彼らは何故に日本人と同じような色の肌を持っていたのか。結論を言うなら彼らも守と同じで大日本帝国軍人をカリカチュアライズした存在だからである。

反射衛星砲によりヤマトを追い詰めたシュルツだったが、結局は進たちの潜入破壊工作の前に冥王星基地を失う。傷ついたヤマトはアステロイド・ベルトに身を隠し船体の修理を行う。「こうしている間にもヤマトは修理を進めているはずだ。修理が完了すれば、あの波動砲が物を言う。(中略)死を賭けても栄光を手にするのだ。これがガミラス軍人の運命だ。諦めろ」シュルツの言葉を聞いたガンツは「どこまでもお伴します」と応える。そしてシュルツは残された艦隊に特攻、最後の体当たり攻撃を命じる。「冥王星前線基地の勇士たちよ、覚えておきたまえ。我らの前に勇士なく、我らの後に勇士なしだ」こうしてシュルツはヤマトの前から姿を消す。シュルツの残存艦隊は全てヤマトに体当りする。ガミラス人は特攻マニアかと突っ込まれても仕方がないほどだ。

次にドメルの死に様を見てみよう。彼もヤマトを追い詰めながら、詰めの甘さにより大切な艦隊を失ってしまう。そして最後は沖田とモニター越しに対面し、ヤマトの立場を認めながらも「ガミラス並びに地球に栄光あれ」と言い放ち、結局は自爆である。

自爆と言えば現代の過激なイスラム原理主義者を連想する人もいるだろう。何故彼らは簡単に死んでしまえるのか。それは彼らが神という強力なバックボーンに支えられているからである。今ここで死んだとしても、神が蘇らせてくる、神が魂を救ってくださると信じている者にとって、死は1つの扉、通過点でしかない。そんな彼らからすれば、捕虜になって尋問を受けるなど、愚か者の行為にしか見えないに違いない。そして、大日本帝国軍の軍人たちも同じだった。戦地へと赴くとき、彼らは「靖国で会おう」という言葉を交わした。

仮にドメルが降伏していたとしたらどうだろう。ガミラスの宇宙船ではあっても戦闘艦ではないものは見逃す沖田のことだ。既に戦闘の意思を放棄した者は、捕虜にするとしてもある程度の人権を保証するだろう。そしてドメルには一時的に捕虜になろうとも、チャンスを待って反撃する機会もあったはずである。だが、ドメルは捕虜になることを良しとしなかった。彼の心にも天上の楽園があって、神が魂を救ってくれることを信じていたという可能性もあるだろうが、ドメルが死を選んだのは、神を信じる者たちとは違う別の理由があったからなのだ。

 

かつて悪名を轟かせ「ロボ」と名付けられた狼がいた。ロボはさんざん人々を困らせたが、遂に捕らえられる。ロボには多額の懸賞金が出されていたが、あまりにも有名な狼だったため、ロボをどうするのか、その場で結論は出ず、そのまま放置された。ところが、翌朝、ロボは死んでいた。彼は自由を奪われたという屈辱と絶望のために死んだのだ。

未開人を3日以上監禁できないということはよく知られている。どんなに待遇が良くても衰弱死してしまうのである。希望を奪われたという心理的な原因で死んでしまうのだ。赤十字の統計によると、未開に近ければ近いほど捕虜にされた時、絶望して自殺を選ぶ率が高いらしい。我々、日本人は未開人ではない。だが、第2次大戦中、アメリカの捕虜収容所では、比較的待遇が良かったにも関わらず、もはやこれまでと悲観して自死を試みた日本兵が多数存在した。*1

シュルツやドメルが死を選んだのも同じである。太陽系攻略を任されながら、前線基地を失いデスラーに見捨てられたシュルツ。そして瞬間物質移送器にドリルミサイルと、絶対の自信を持って挑んだ戦いに敗れたドメル。彼らには、どんなに待遇が良くても捕虜となり汚名を晒すという事実そのものが耐えられなかったのだ。

 

普通に敵としての宇宙人を設定するなら、我々とは対照的な文化や思想などを設定するべきだろう。そのほうが物語上、軍事的にも、政治的にも、宗教的にも対立を発生させやすいからだ。然るに我々の物語のガミラス側の主人公たちの死に様はどうだろう。ドメルは「自爆装置をいつでも入れられるようにしておきたまえ。これが私の最後の決め手だよ、ゲールくん」と言い放つ。「生きて虜囚の辱を受けず」に代表される大日本帝国軍の玉砕思想そのままではないか。このことからもガミラス人には大日本帝国軍の思想が反映されていることが明らかだ。

―というわけで、See You Next Talk!

*1:何度失敗しても諦めずに脱走しようとする、映画『大脱走』のバージル・ヒルツ大尉は、ちょっと特殊すぎるかもしれないが、例外もあるにせよ、一般に「こんなところで死ぬよりは捕虜になるほうがマシ」とか「とりあえず降参してチャンスを待とう」と考える欧米の軍人と比べると、日本兵のすぐに自死を試みる異常さが解ると思う。もっとも、欧米の軍人にも捕虜になるくらいなら仲間に殺される方がマシと思える状況はあるが、少なくとも敵国が捕虜の人権をある程度は考慮してくれることが明らか場合は、もはやこれまでなどと悲観したりはしない。